震災と人権~共助と思いやり~

宇土市人権教育協議会総会
宇土市保健センター



 皆さん こんにちは。
 ただいまご紹介にあずかりました中川です。よろしくお願いします。
 4月14日、午後9時26分。突然熊本を襲ったマグニチュード6.5の大地震。益城町は震度7でした。私が住んでいます熊本市東区は震度6弱、ここ宇土市は震度5弱でした。
 私は、ちょうど風呂に入っていました。私は風呂で歯を磨きます。その時も風呂で歯を磨いていました。そこへ、ガタガタガターと大きな音と同時に風呂おけがぐらぐらぐらーと上下左右に大きく揺れました。一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。「地震だ-。妻は大丈夫だろうか。」と、風呂から裸のまま飛び出して、「良子、大丈夫かー!」と妻を大声で呼びました。妻は、「炬燵でNHKのテレビニュースを見ていたのでそんなに揺れは感じなかった。」と言います。私の家の居間には、毎年正月お宮参りに行って買ってくる絵馬を飾っています。それがカタカタカタと揺れるので地震だと思ったと言います。幸い、家具が倒れたり、食器が散乱したりすることはありませんでした。しばらくして、益城町が震度7の揺れだったことをテレビニュースで知りました。家の周りを回って、壁や瓦に被害がないかを確認しました。近所の家屋も倒壊などありませんでした。それからは、5分から10分おきに、震度4以上の揺れが続きました。その夜は、居間で炬燵の中で寝ました。明くる日、2階に上がってみますと、作り付けの本棚が、北側に50センチメートルほど動いていました。机も動いていました。
 15日、実家の熊本市東区沼山津の様子を見に行きました。実家は、小屋が倒壊していました。母屋はどうにか建っていましたが危険の状態でした。実家に住む弟に話を聞きますと、揺れがものすごかったと言います。甥が母を抱きかかえて、姪の家に避難させたと言います。家族の安否が確認され、一安心しました。沼山津の農家はほとんどが倒壊か半壊の状態でした。従兄弟の連れ合いは、「こんなことはテレビで見る光景だと思っていた。まさか私たちの地域がこうなるとは」と呆然としていました。
 午後、益城町役場へ自転車で行きました。途中、道路は至る所で亀裂が走り、陥没したり、隆起したりしています。惣領神社の鳥居や狛犬、石灯籠は倒壊しています。ブロック塀や石垣が倒壊しています。たくさんの家が倒壊していました。役場駐車場には、近所の方が避難していて、いつ起きるか分からない地震の恐怖で皆さん、不安の様子でした。役場内に入ると、亀裂が壁の至るところにあります。教育委員会へ上がりますと、ほとんどが片付いていました。職員みんなで片付けたと言います。まだ、片付いていない部屋を見てびっくりしました。スチール製の事務机が重なっています。長野県諏訪湖が極寒時、水面が凍り、せり上がっている鬼渡りのような光景でした。3階ベランダから役場周辺を見渡すと、被害の甚大さが分かりました。昨日まで平和でのどかな生活を送っていた益城町の現実かと涙が出ました。
 夕方、長男が心配してやってきて、「ここに寝るのは危ない。隣の部屋で寝た方がよか。」と言います。そうしようかと思いましたが、タンスがあるので2階の部屋は危険だと判断し、下の部屋で寝ました。16日未明、午前1時25分、マグニチュード7.3の大地震が再び襲いました。益城町は震度7、熊本市東区は震度6強、宇土市も震度6強でした。揺れが収まって、家の周りを確認しました。ブロック塀の一部が倒壊していましたが、他は被害はないように思えました。近所も被害はないようでした。近所の皆さんそれぞれが屋外に避難し、互いの無事を喜び合いました。近くに住む弟が、「家の中は危ない。病院の駐車場を開けてもらったので車を移動して車の中で寝たがよか。」と言います。近所の人もそこに車を移動し、車の中で一夜を過ごしました。
 朝、2階に上がってびっくりしました。昨日、ここで寝ようかとした部屋のタンス、妻の2段重ねの和箪笥の上段の部分は、そのまま2メートルほど離れて落ちていました。下の段は、横に倒れていました。ここで寝ていたら、圧死だったと妻と話しました。寝室に行くと、妻の整理ダンスが倒れ、前震で移動していた本棚がその上に重なるように倒れていました。いつものように寝ていたら、今こうしてはいません。おそらく命はなかったと思います。
 今回の熊本地震では、それぞれがそれぞれにいろんなドラマがあったことと思います。
 地震が起きた当初は、いつあの激しい揺れが襲ってくるかと恐怖と不安でいっぱいでした。
 16日の朝、沼山津の実家に行きますと、途中の家はほとんど倒壊していました。倒壊した家が道路をふさいでいる所もありました。実家近くのお寺は門も御堂も釣り鐘堂も倒壊していました。実家も倒壊していました。ほとんどの人が「これからの生活はどうなるのだろう。」との絶望感で呆然と立ちすくんでいました。
 ラジオのニュース(テレビが倒れ、壊れてしまったので5月初めまでテレビなしの生活を送りました)では、宇土市役所の一部が壊れたと報道していました。熊本城も天守閣の瓦が落ち、石垣があちこちで崩落している、阿蘇神社の楼門が倒壊したと報じていました。地震のものすごさを知りました。
 しかし、人は強いですね。絶望感の中にも、「地震に負けておらるっか!」と誰言うとなく、互いの安否を確認し合いながら、瓦礫の後片付けが始まりました。私は、10日間ほど車中泊をしました。体育館や公民館等で避難所生活をしている人も数多くいらっしゃいました。宇土市でもそうだったと思います。
 熊本地震は、日頃の地域づくりでありますとか人と人との繋がりでありますとか、人権啓発の在り方など私たちに多くのことを考えさせてくれました。
 網田小学校の校長先生から聞いた話です。14日の前震の時、教頭先生は学校で仕事をしていらっしゃったそうです。そこへあの大地震です。校区の住民が一時避難所を求めて学校に来て、「校舎内に避難させてくれ」と言ったそうです。その時、教頭先生は、「こんなに揺れている。校舎は危険です。運動所が安全です。」と住民を運動場へ誘導したそうです。住民の皆さんは、教頭先生の誘導に従って何の混乱もなく整然と避難されたということです。熊本市内では、「校舎に入れてくれ」「入れない」で押し問答があったやに聞いています。これは、網田小学校が日頃から地域の人と一緒に、コミュニティ・スクールとして地域とともにある学校づくりに取り組んでいる成果だと思います。網津小では学校再開が決まると、避難していた人と地域婦人会の皆さんとが、避難所として使っていた教室を子どもたちの勉強に差し障りがないようにと清掃をされたと聞きました。鶴城中では、5月の体育大会では、体育館に避難している人々を招待して、避難者専用のテントまで用意したと聞きました。市長さんは、あいさつの中で、みんなの気持ちが一つになり、前を向いて進んで欲しいとの願いを込め、「エイ。エイ、オー!」のかけ声唱和をリードされたそうです。避難している人たちは、中学生の元気あふれる演技を見て「元気をもらいました。ありがとうございました。」と言っておられたそうです。私の息子の話によりますと、息子が勤務している学校の体育館に避難している人の中に、宇土市役所の職員の方もおられるそうです。自分も被災者で避難所生活をしている中で、宇土市民の生活支援のため、夜は遅く帰り、朝は早くから出勤しておられる姿を見ていると言います。これらは、日頃からの人と人との繋がりを大切にした地域づくりの表れだと思います。
 一方、災害時に起きる流言飛語も飛び交いました。お手元に配布していますものは、7月21日付の熊日新聞記事のコピーです。
 読んでみます。


 熊本東署と県警サイバー対策課などは20日、熊本地震の前震直後に熊本市動植物園からライオンが逃げたというデマを短文投稿サイト「ツイッター」に投稿したとして、偽計業務妨害の疑いで、神奈川県、会社員佐藤一輝容疑者を逮捕した。災害時にインターネット上にデマを書き込んだとして逮捕されるのは、全国初。
 逮捕容疑は4月14日午後9時52分、自宅でツイッターに「おいふざけんな、地震のせいでうちの近くの動物園からライオン放たれたんだが熊本」という文意と、路上に立っているライオンの画像を投稿し、同園の業務を妨害した疑い。
 県警によると、投稿は1時間で2万件以上リツイーと(転載)されて広がり、同園には市民から100件以上の問い合わせの電話が相次いだ。佐藤容疑者は、「みんなを驚かせようと悪ふざけでやった」と供述しているという。画像はスマートフォンでネット上から探し出し、ダウンロードしたらしい。
 岡崎信一園長は、「情報が混乱している中で、ありもしない情報を発信するのは極めて遺憾。多くの方々が心配されたはずで、今後このような虚偽の情報発信がないように願っている」とのコメントを出した。
 熊本地震では、大型ショッピングセンターで火災発生」など、さまざまな悪質なデマが流布した。

 動物園近郊の人は、地震の恐怖から避難したいけどライオンが逃げているならさらに恐怖だと、避難するのをためらった人が多くいたと聞きます。人々の生活が混乱しているとき、このようなあってもいないデマを流すなど許せないことです。本震後、弟が、「これ以上の地震が来ると息子が熊日から聞いてきた。」と言います。甥は、熊日関連の仕事をしています。私はとっさに、「根拠もないことを言うな。人には絶対言うなよ。」と念を押しました。益城町の校長先生から聞いた話です。「5月17日に大きな地震が来るとインターネットでみて、給食も食べきれないほど不安に陥った子が幾人もいました。大きな地震はなかったので、17日が過ぎたら元気に過ごしています。噂は子どもの心にも大きな影響を与えます。」と。
 熊本地震のような大災害時こそ、正しい情報を、正しく学び、どう行動すればいいかを判断することです。そのためには、日頃から、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動する力を身につけておくべきだと思います。地震情報に関する正しい情報は、日本気象協会が発する地震情報です。
 まだ記憶に新しいのですが、東日本大震災後、福島県産の野菜が放射能汚染されていると購買動向に影響を与えたり、福島県外に一時避難している子どもたちに、「近寄るな。放射能がうつる」と遠ざけられたりした風評被害がたくさんありました。これは、人権侵害です。
 災害と人権は密接な関係にあります。
 人権を守ることの最大の課題は「命を守る」ことです。災害時は、生死を分けるタイムリミットとされる「72時間の壁」があります。熊本地震でも益城町では、倒壊した家の下から救出された人がいます。中でも、余震が続く中、生後8ヶ月の赤ちゃんが無事に救出されたときは、周りの人が思わず拍手で赤ちゃんの無事を喜び、警察・消防の方に感謝の気持ちを表したと報道していました。
 平成7年に起きた阪神淡路大震災では、淡路島の旧北淡町では、倒壊家屋による圧死が他と比べて少なかったと聞いています。それは、地区の人が互いに寝室の場所まで把握していて、倒壊家屋のどのあたりに埋もれているかを推し量ってそこを中心に救出作業をした結果だと言われています。寝室の場所まで知っているのとプライバシー保護の問題とは微妙なところですが、72時間の壁をクリアしたことは確かです。
 また、大災害時には、食料や水、安全な生活の場の確保など生存権の保障が1番です。避難所対応等で市ではある程度の食料や水は備蓄してありますが、各家庭でも日頃から食料や水はある程度備蓄しておくことが必要だと思います。
 また、災害と人権侵害とは切り離せない関係にあります。災害は多く人の命を危険にさらし、人々の暮らしのすべてを奪い、人々に苦しみを強います。人々から日常の暮らしを奪うこと、人々に苦しみを強いること、これはまさに人権侵害です。
 たとえば、避難所では、他の人に迷惑をかけまいとトイレの回数を少なくするため、水分補給を控えるなどがこの例です。
 そして、災害時には、情報不足や流言飛語などから人権侵害が生じることがたくさんあります。冒頭述べましたように、東日本大震災で、福島の原子力発電所事故により被災地の農業・水産業・酪農業が受けた風評被害、また避難先での被災者に対する心ない対応などがありました。
 本市での避難所生活では、行き届いた避難所対応で、大きなトラブルもなく避難所生活が送れたようですが、災害弱者と言われる人は、避難所生活で「困りごと」が多く出ます。
 例えば、高齢の方にとっては、大勢の人が密集して暮らしているので通路が狭く、階段などの段差もあり、トイレに用を足しに行きづらく、ついつい我慢してしまい、脱水症状や便秘など体調不良を起こしやすいと言います。熊本地震では、地震が夜だったため、入れ歯や歯ブラシをを持たずに避難して、歯磨きをひかえる人がいて、体調を崩たという例も報告されています。
 また、障がい者にとっては、段差を一人で上がれない、トイレが使えない、一人での移動が困難、耳が不自由な人はいろいろなお知らせが放送だけでは気がつかないなどがあります。知的障がいや自閉症の人の中には、集団生活のなかでは生活様式が変わったことの不安などから奇声を発したり多動に陥ることも多く、避難所に居づらくなる場合があると聞きます。また、乳幼児がいる家族は、夜泣きなどのために他の人への迷惑を考えて避難所に居づらくなる場合があると聞きます。
 女性や子どもが、避難所で性被害を受けることがあります。熊本地震でも子どもがわいせつな画像を見せられたという報道があっています。
 避難所や仮設住宅では、プライバシーなど個人の尊厳や幸福追求権を保障することが大切です。
 以上見てきましたように、災害時は人権侵害が置きやすい状況にあります。災害時の人権を守るためばかりではなく、10年後、20年後のまちづくりに、日頃からどのような取り組みが必要でしょうか。熊本地震は私たちにたくさんのことを考えさせました。地震発生直後の住民のとった行動、避難所での生活の様子などを振り返り、これからのまちづくりの在り方を見直すことが大切であると思います。
 まず第1は、「共に助け合う地域づくり」だと思います。助け合いには、「自助、共助、公助」があります。何でも行政に頼るのではなく、まずは自助、そして共助だと思います。甲佐町のある校区では、被害が甚大で、学校に多くの方が避難してきたそうです。その避難者の中に、ある地区の方は一人もいなかったというのです。被害がなかったわけではありません。大きな被害を受けているにもかかわらず、学校にはには避難しなかった。地区の公民館に集まったそうです。その地区は日頃から区長さんを中心に「地区のことは地区で助け合おう」との空気が醸成されていたと言います。地区の住民同士、互いに安否を確認し合い、助け合っていたと言います。
 熊本地震では、トラブルがあったということはあまり聞こえてきませんが、よかったことばかりを取り上げるのではなく、小さなトラブル等まで検証して、何が、どのような場合に起きたか、どう対処したか、結果はどうだったかなどをまとめ、これからのまちづくりに活きて働く力を住民に身につけてもらうには、どう啓発・訓練していけばよいかの計画を創って欲しいと思います。
 第2は、「人と人とのつながりを大切にした地域づくり」です。益城町の放課後子ども教室でそろばん指導をしている人が、そこの学校に避難しているとき、「子ども教室で学んでいた子どもから『そろばんの先生、大丈夫でしたか。』と声をかけられました。あんなにうれしかったことはありません」と目にいっぱい涙を浮かべて私に話をされました。また、ある小学校では、子ども教室再開時に子どもと指導者が互いにハグし合い、「無事でよかったね」と喜び合う姿を目にしました。このように人と人とがつながり合うまちづくりが大災害時に活きて働く力となると思います。
 昨年、本市の学校支援人材バンク事前研修会に参加しました。その時、網田漁協のり養殖改良普及員という方が宇土小学校5年生の先生と、社会科で「のり養殖」を題材に日本の水産業の学習をしたことを発表されました、発表の中で、子どもたちから次のような感想を疑問が発せられたことを紹介されました。「のり養殖の学習で、のり養殖の技術が向上したこと、それに伴って生産額が多くなったこと、そして収入が増えたことが分かりました。収入が増えているのに何故、後継者が少ないのですか。」と。この話を聞いた時、「私も社会科教員の一人です。漁協の方からのり養殖の現状を聞いたことをもとにのり養殖について、生産技術の向上、生産高の増加、収入増は教えることができると思います。しかし、後継者が少ないことへの疑問を子どもに持たせることはできないと思います。実際にのり養殖に関わり、のり養殖の将来への熱い思い、そして危機感を持って子どもと学習されたからこそ子どもが疑問を持ったのだと思います。この疑問が将来の宇土市を考えるきっかけになるでしょう。」と。5年生の子供たちは、この学習を通して、自己の将来への思い、そして市の将来への思いを持ったはずです。それも、人と人とのつながりを通して。まちづくりの基本は「人と人とのつながり」を大切にしたまちづくりだと思います。
 第3は、普通でない災害時は私たちは自分のことで精一杯です。そんなとき、他の人のことを思いやる心を日頃から培っておくことが大切だと思います。


論語の衛霊公第十五

    子貢)問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之)を行うべき者有りや。
    子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。

があります。
 これを、次郎物語の作者下村湖人は次のように訳しています。
 子貢がたずねた。ただ一言で生涯の行為を律すべき言葉がございましょうか。
 先師がこたえられた。それは恕だろうかな。自分にされたくないことを人に対して行なわない、というのがそれだ
 「恕」とは、思いやり、優しさと訳されています。
 「論語に学ぶ会」主監の高野大造さんは、「恕」を次のようにとらえています。
 「相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること」これが恕、つまり本当の思いやりだと。
 私は、この「恕」の心を日頃から培っていくことが大切だと思っています。人権学習の時には、この言葉を取り上げています。
 第4は、非常時に生きて働く防災訓練です。熊本市のある校長先生が言っておられました。
 「私の学校でも地域でも避難訓練を実施してきたが、今回の地震ではそれが生きて働かなかった。これまで実施してきた避難訓練は、単なるイベント的行事ではなかったか。行事消化として実施していなかったかなどを見直す必要がある。最悪の事態を想定して、被害を最小限に抑える避難訓練をしなければ非常時に生きて働く力とはなりきれない。」と。
 平成24年度、益城町が「学校支援優秀団体」として文科省の表彰を受け、その席に出席しました。釜石小学校の校長先生も出席しておられ、受賞者を代表して謝辞を述べられました。謝辞の中で、「釜石の奇跡」と報道されたことについての話がありました。
 釜石の子のほとんどが津波から逃れ命を守ったのは奇跡ではなく、自分の命は自分で守るの「津波てんでんこ」の教えを身につけるため、日頃から訓練していた結果です。決して奇跡ではありませんと。てんでんことは、「海岸近くで大きな揺れを感じたときは、津波が来るから誰の指示を待つことなく、家族にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く、より高台に逃げて自分の命を守れ」という意味だそうです。これを身につけるために、日頃から、誰の指示も待つな、自分の命は自分で守る、より高く、より遠く、より早く逃げるために、今すぐ行動せよの簡単なことを徹底して訓練してきたことを子供たちは実行に移したのですと。
 このように災害時に生きて働く力を身につけることは、全ての人にとっての課題です。
 日頃から 声をかけ合い、力を寄せ合い、人を気づかい、助け合う“地域の絆”をつくりましょう。
 日頃から他を思いやる心を持ち続けましょう。
 非常時に生きてはたらく力を身につける避難訓練・防災訓練は、人権の視点から企画立案実践しましょう。
 おわりに、若くしてアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディの言葉を紹介します。
「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。」
 この言葉は、今回の熊本地震のような大災害時こそ、私たち一人一人が心しなければならない言葉だと思います。
 宇土市民の皆さんがさらなる人権尊重のまちづくりに努められますことを祈念申し上げ、話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。